『Put You In The Picture』が後にリッチ・キッヅにカヴァーされたティニーバッパーで
ミッジ・ユーロが在籍したトコロの77パンカーPVC2ことロック球児の・・・
(↑わかりにくいです)
. Slik – Forever And Ever(’75 Bell)
スリックが全英No1に輝いた2ndシングル
プロデュースはスコットランドのチン/チャップマンこと
Bill Martin & Phil Coulterが担当で
元々はケニーのアルバムへの提供曲だったヤツ
マーティン/コウルターはベイシティー・ローラーズの『サタディー・ナイト』を書いた程の
一流UK芸能歌謡ヒット請負仕事人なので
相当期待された新人アイドルだったと思われ
ま
正直そんなに大ヒットするとも思えないかったるいテンポで何もおきない単調な曲なんだけどなぁ・・・
ただし
B面曲『Again My Love』はメンバーの作曲
ベイシティーは当時「楽器弾けないんじゃね」なんて揶揄されてたけど(ホントは下積み長い)
スリックはゾーンズやスキッヅ他の派生バンドを聴く限り実力わホンモノすなぁ
問題は
スリックがどこまで自分達の意志でバンドをコントロールしていたかって事だが・・・
これが全然わからねぇ
PVC2で突如パンク化したってのは一種バンドからマネージメントへの反乱だったのか?
あるいはマネージメントがパンク時代到来を察知してやらせ商業パンクを造ったのか?
むぅ士郎
解りやすく同じグリッターのザ・スウィートで例えるならば
“Give Us A Wink”でチン/チャップマンの下から平和的に独立して
自らの手でアルバム制作するに至ったパティーンとどこが違うのか?
あるいわ
(↑いや 例えてねぇし)
レイジーが脱皮してラウドネスになった事と(ry
さらに謎なのは
ベルの全英ナンバー1アイドルだってのにミュージック・ライフや
湯川一家BCR担当のチャッピーもスヌーピーもほぼほぼ食いつかなくて
(あくまで個人的記憶です)
アルバムなんか日本発売さえ無かったのよね〜
なので小生の情報も無いのでし たっ
↑1st 7″『The Boogiest Band In Town(’74)』は全然イメージ違うけどこれはこれでカッコイイ