ロック史的には重大なリリーッスだが

プログレッシヴロックはパンクロック

ここで出現した現象を音楽的に正確に解説しえた評論というものはあるのだろうか

 

.   Throbbing Gristle – The Second Annual Report(’77 Industrial / Fetish)

 

そもそも

リアルタイムでこれをまともに取り上げていたメディアって『ロックマガジン(阿木譲)』だけじゃね

2ndになってるけど実は1stなので混乱するなぞと言われる事もあるが

’75年に自主制作の”The Best of Vol.1″ ちうカセットがあるから2ndで正しいのだとも言われる盤

ぶっちゃけこんな非音楽を音楽的にどう言語化すりゃイイ中年

インダストリアル・ミュージックの始祖と言うが

ファウスト辺りの影響大のミュージック・コンクレートやシンセ・アンビエントが

延々と無秩序に繋がれた起承転結もヤマもオチもイミも無く(801)

当然サビも間奏もリズムも無いパンクなんて

当時の日本のヤングの誰が理解出来たのだろうか

だいたいスログリは俺たちが忌み嫌いコケにしたヒッピー世代の生き残りなのだし•••

だがそれがイイ!

数十年経って思えるようになったりして•••

それも気のせいだったり

今になって誰かが価値があると褒めてるからこういうのもあるのかなと思ったりするのかも•••

 

それくらいぶっ飛んだ他に比較のしようが無い存在だったワケだが

スロッビン・グリッスルのメンバーはロキシー・ミュージックの大ファンだったてのも意外すなぁ

同じ美術系出身だとしてもあんなポップでグラムな芸能商業音楽も認める広い心があったなんて信じられないよ

でも

実際はブライアン・イーノだけのファンだったんだろうなぁ

(あくまで個人的想像です)

細かく再発されているが画像は’78年モノ 当時の反体制系特有のコラージュ新聞(年次報告書)が入っている

 

そんな中!

先日の出張の宿泊先は•••ななんとイーノ屋旅館だったー

これも何かの予兆だったんだろうな

そもそも

それまで10年間泊まってたビジネスホテルは

去年から同行した前述The Kafersが深夜に騒ぎすぎて苦情が入りまくったと言う経緯で

イイ歳をしてホテルを出禁になってしまったのだ!

今時そんなバンドいるかよオイ

なのでビートルズ業界内でのレッド・ツェッペリンかザ・フーなのでわ?と言われている始末

んで

イーノ屋旅館は風呂(一人用)もトイレも冷蔵庫も共同というミニマム旅館で

部屋には机も椅子も電話も寝巻きも聖書もなく畳六畳間に布団が敷いてあるだけのほぼほぼ合宿所だった

これがホントの•••あーんピエンと なんつてーーー

飯は美味かったんでこれでイイのや なんつてーーー

駄菓子菓子

テレヴィジョンだけはあったのもイーノっぽい

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